合戦解説 桶狭間の戦い

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合戦がおこるまで

1560年、駿河国を本拠とする大大名、今川義元は、尾張国の織田信長を倒すべく、居城、駿府を出立し、沓掛城に入った。そしてこの日、松平元康(のちの徳川家康)に命じて鵜殿長照の籠もる大高城に兵糧を搬入させた。

同年5月、松平元康・朝比奈泰朝の隊が織田方の丸根砦・鷲津砦を攻め落とした。この合戦で織田方の佐久間盛重・織田秀敏らが討死。いよいよ義元の本陣も大高城に向け動き出す。

合戦の情勢

織田信長もついに清州を出陣。これを聞きつけた一部の部隊が無断で今川軍へ突撃。しかし、圧倒的な数の前に壊滅した。さらに昼頃から大雨が降り始める。雨を嫌った義元は桶狭間山で休息をとった。しかし、これが信長の思うつぼだった。突如として義元本陣に奇襲を仕掛けたのだ。豪雨の事もあり、完全に油断しきっていた今川軍は不意を突かれ、とっさに応戦するもなすすべなく討たれていった。義元も慌てて輿を捨て敗走を開始。しかしついには田楽ヶ窪にて織田家臣、毛利新介の手により討たれた。享年42。

義元の他にも、今川家臣の松井宗信、井伊直盛、由比正信、蒲原氏徳らが討たれ、多くの兵が討死となった。

その後の顛末

今川方についていた松平元康は、空となっていた岡崎城に入城。一方最後まで抵抗をつづけた鳴海城の岡部元信も織田方と交渉の上撤退。しかしその最中に刈谷城を攻めて、水野信元の弟、水野信近を討って駿府まで撤退した。また、海賊衆の頭、服部友貞も海路をを敗走した。この戦いによって織田の名声は上がっていた。さらにはそれと対照的に今川方の名声は飛ぶ鳥落とす勢いで地に落ちて行った。

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