長男・毛利隆元
まずは栄えある長男、毛利隆元です。隆元を一言で表すと裏方の調整役といったところでしょうか。彼は他の優秀な弟たちと比べると、戦績の面ではやはり見劣りするかもしれません。ただ、隆元は常に内政に力をいれ、民からも慕われる非常に温厚な領主でした。そんな隆元の性格が顕著に表れている逸話を一つ紹介します。
1563年に隆元が突如急死してしまいます。すると、これまでは滞りなく進んでいた領国経営が途端に思い通りに進まなくなったのです。元就は不審に思い、家臣に調べさせたところ、それまでは元就が当然のように勧めていたことですが、ふたを開けてみると、隆元による必死の努力があったのです。これを聞いた弟たちも感嘆したといいます。
次男・吉川元春
続いては毛利両川体制の兄、吉川元春です。元春を一言で表すならば、血気盛んな猛将です。この言葉を決めるときに、僕もすごく悩みました。なぜならば元春は武一辺倒の武将ではなかったともいわれているからです。ただ、尼子氏との石見銀山をめぐる争いでは、自ら前に出て勝手に突撃し敗れる…なんてこともありましたので悩みぬいた末にこちらにさせていただきました。ちなみに当然、隆元も元春も、この後登場する小早川隆景に関する感想もすべて個人の感想ですのでご留意ください。さて、話を戻しますが、元春は毛利氏の両川体制の中で山陰地方を担当し、大内派の国衆や尼子氏との戦いに明け暮れましたそんな元春が活躍した戦いを一つ上げると、吉田物語や陰徳太平記に少し記述があるだけで、実在性が疑われる合戦なのですが、出羽表の戦い(石州出羽合戦とも)でしょう。この戦いは、元就が狙っていた石見銀山を守ろうとする尼子軍を撃破するため、石見国の出羽にて起こった戦いです。元春は多大な犠牲を払いながらも果敢に戦いこれを撃破しました
三男・小早川隆景
さあ、最後は三男、小早川隆景です。何を隠そう隆景は、僕が一番大好きな歴史人物です。理由としてはやはりその知略の高さです。そんな隆景を一言で表すと、若き天才です。最後の最後で本当に一言なのですが、隆景の初陣での活躍っぷりや、九州での大友氏との激闘を考えると納得がいきます。彼は両川体制において山陽地方を担当し、元就死後の豊臣政権下では、五大老の地位について活躍しました。とくに1558年~1562年にかけて6回も起こった門司城の戦いでは、幾度も門司城を奪われながらもあきらめずに勝利してきました。


コメント